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【震災】「じいちゃん、ばあちゃん。私と生きてくれてありがとう」「あいつらの分まで頑張らないと」…希望と決意胸に、列島に追悼の祈り


1 :結構きれいなもろきみφ ★:2013/03/12(火) 09:22:09.16 ID:???
 列島に11日、東日本大震災の犠牲者らを追悼する祈りが静かに満ちた。鎮魂の鐘の音が響いた。目を閉じると浮かぶ
あの日の恐怖、今日までの苦労……。やりきれない思いは今も抱えたままだ。だが私たちは誓う。「あなたを忘れずに生きる」
「3年目はもっと前を向く」。希望と決意を胸に、さらに一歩踏み出した。

■3年目、希望を胸に

 1200人を超す死者・行方不明者が出た宮城県気仙沼市は、高台にある市総合体育館で追悼式を開いた。多くの部員が
仮設住宅で暮らす気仙沼高校吹奏楽部がバッハの「G線上のアリア」など3曲を献奏し、遺族らは悲しみを新たにした。

 遺族代表の同市唐桑地区に住む伊藤美江子さん(63)は震災当日、家族で仙台に遊びに行った帰りの車中で津波に襲われ、
夫や娘を失った。1人だけ生き残った絶望的な状況を周りの人々に支えられたとして「3年目はもっと前向きに生きていこうと思う」
と話した。

 村井嘉浩・同県知事は「復興に向けた一筋の光は見えてきたが、まだ被災者の将来への不安は大きい。一日でも早く生活再建
できるように復興を加速する」と語った。

■あいつらの分まで

 「じいちゃん、ばあちゃん、いまどこにいるの? 私と生きてくれてありがとう」。津波で789人が死亡・行方不明となった宮城県
南三陸町の追悼式。遺族を代表して専門学校生、佐藤綾美さん(20)が、祖父の柳太郎さん(当時73)と祖母のふち子さん(同)
に涙ながらに語りかけた。

 2人は今も行方不明。「今年の成人式で振り袖姿を見てもらいたかった」と声を詰まらせ、「2人に負けないくらい格好いい大人
になれるように一日一日を大切に過ごしていく」と決意した。

 県立志津川高校の2年生36人が被災体験を歌詞にした組曲「はるかな友に心寄せて」を合唱。「みんなでまた この町に暮らそう 
ひとりじゃない」。歌声が響くと目頭を押さえる人もいた。

 同県登米市の仮設住宅で暮らす会社員、今野愛彦さん(37)は同町の病院に入院中だった母(当時63)を亡くした。この日、
「独立し、起業する」と改めて誓い、「友人4人も亡くなった。あいつらの分まで頑張らないと」と力を込めた。

■こいのぼりは絆のシンボル

 津波で流された住宅跡が続く仙台市若林区の荒浜地区では、震災2年に合わせて建立された御影石づくりの観音像の前で、
犠牲者約190人の法要が行われた。約700人が参加。自宅を流された早坂昇さん(72)は「たくさんの人に祈ってもらいたい」
と話した。

 孫の佐竹碧ちゃん(当時5)をこの場で亡くした宮城県川崎町の佐藤正子さん(69)の携帯電話の待ち受け画面は、にっこり笑う
碧ちゃんの写真。慰霊碑に刻まれた名前に手を添え「まさかいなくなるとは夢にも思わなかった」と声を詰まらせた。

 津波で壊れた住宅の撤去作業が今も続く同県東松島市の大曲浜地区の一角の橋では、亡くなった伊藤律君(当時5)のために
14匹の青いこいのぼりが掲げられた。5月5日には300匹以上がはためく予定だ。

 掲げたのは大学1年の長兄、伊藤健人さん(19)ら。祖父母と母とともに律君を失い、父親らとみなし仮設住宅に暮らす。
「復興が進むにつれ、自分の中で進む震災の風化にストップをかけたい」と健人さん。企画を手伝った仮設住宅の自治会長、
小野竹一さん(65)は「こいのぼりは犠牲となった地区住民の鎮魂と、残った住民の絆のシンボル」とかみしめた。

ソース(日本経済新聞) http://www.nikkei.com/article/DGXNZO52705560S3A310C1CC1000/


2 :名前をあたえないでください:2013/03/12(火) 11:15:59.55 ID:8gyEC8Ix
ジジババはどうでもいいが、子供が死ぬのはつらいな。。


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